思い出の坂道
秋葉山の四季に抱かれながら実にのんびりとした高校生活を過ごした。
桜並木から舞い落ちる薄い桃色の花びらを受け止めながら歩いた正門から続く坂道。
誰に咎められることも無く授業から抜け出して登り着いた神社のむせかえるような緑。
旧桂邸の紅葉を見ようと友人達と遠回りして帰った秋の夕暮れ。
冬の坂道、近所の子どもが作ったツルツルスポットにうっかり乗った失敗を笑いながら慰め合うこともあった。
時はオイルショック真っ只中。
高校のトイレからトイレットペーパーを持ち去った強者もいたような記憶もあるが、思えばあの頃から国は急速に原子力政策へと舵を切ったのである。
当時の選択を必ずしも否定は出来ないが、原発賛否についての議論がイデオロギーの対立のように扱われ、危険性を直視して来なかったことが今日の悲劇につながっている。
3.11後の現実からもう誰も目を背けることはできない。
今の選択は必ず未来につながるのだ。
母校に続く坂道を歩いていたあの頃、青春の慟哭も確かにあったはずなのだが、思い出は全て穏やかである。
久しぶりにあの坂道を歩いてみたくなった。
昭和50年新津高校卒業
参議院議員 森ゆうこ
(東京新潟県人会会報誌「新潟縣人」7月号掲載)
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森ゆうこ議員のご活躍、「思い出の坂道」を共有する私としましては、本当に誇りに想っています。
あの時代、世の中の時を刻む速さが慌ただしくなり始めた中にあって、「思い出の坂道」はほのぼのと動いていたことを記憶しています。36年前のあの空気を共有し、いま政治的信条に共感し、更に3.11以降のパラダイムの変化を指摘されている森議員に今後も陰ながら応援させていただきます。
投稿: 昭和51年新津高校卒業生の一人 | 2011年7月 7日 (木) 21時16分